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遠藤純子さんのそれから






<いつも側にアメリカがあった。>


米軍基地の側で育ったというじゅんこさん、小さい頃から柵の向こうにはアメリカがあったという。
クリスマスになると家がデコレーションされていたり、パーティーをしていたり、すぐ柵の向こうにある異国のに興味を持ったのは自然の流れと言える。
13歳になった頃には米軍基地の中の英会話教室に通うようになり、ネイティブの先生の元で8年間英語とアメリカ文化を学んだ。
メイクの仕事に興味を持ち始めたのは中学生か高校生の頃、女の子のメイク魂に火が灯り始めた頃で、メイクアップアーティストになりたい!と強く思うようになった。
しかし、将来の進路を決める段になると、美容の道と小さい頃から習っていた英語の道、どちらに進むべきか随分と迷い、結局留学に強い短大に進学を決めた。
卒業後は米軍基地で働いていたが、美容への夢は諦められず、24歳でLAのメイク学校へ自費留学をした。 サティフィケイトを取得し、卒業後はショートフィルム2本とポートフォリオの作成をし、それから特殊メイクも学んだ。
日本に帰国してからは、一般の方向けのイベントメイクや着付け、ヘアメイクレッスンを行っていた。




<0%か100%しかないって思ってた私がオペアで変わった。>


もう一度どうしてもアメリカへ戻りたかったじゅんこさんは、オペアプログラムを見つけオペアになることを決める。
オペアになりたかったという訳ではなく、アメリカに戻ってくる手段としてオペアになった訳だが、オペアとしての仕事に手を抜いた訳ではない。
一生懸命オペアらしいことをやろうと意気込み、何でも私に任せとけ!と気合い充分でオペアの仕事をスタートしたが、生活を共にするうちに日本とアメリカの躾やカルチャーの違いに気づく。 子供が欲しいと言ったものは何でも与える。
食事中に席を離れて遊んでまた食べたい時に戻ってくる。でも、誰も注意しない。 家事担当はパパ。外食もしょっちゅう。
アメリカでは沢山の価値観やスタイルがあり、日本の躾やモラル、それからカルチャーとは大きな違いがある。 オペアは先生でもなければ親でもない、じゃぁどうしたらいいか?日米のカルチャーの違いに戸惑いながらも考え抜いた結果、肩の力を抜いてファミリーが必要としている部分のヘルプをしようと気持ちを切り替えることにした。
0%か100%しかないという考え方から、相手の考えを柔軟に受け入れて出来るだけのことをするように変わっていったという。 押し付けることはしなかったが、少しずつルーティーンを作る事ができたことがとても嬉しかったとじゅんこさんは話す。
子供の着替えやトイレ、洗顔や歯磨き、それからミルク、朝食という毎朝の流れ。帰ってきたら手洗い、うがいを自然に出来るように。 「今はきっともうしてないだろうけど(笑)」 とじゅんこさんは言う。してないかもしれない。でも、しているかもしれない。誰かの生活の一部にオペアはいる。




<まずは、コスメトロジーライセンスを取得したい!>


オペア期間中に、その後に何をするかをしっかり決め、オペア終了後は学生ビザを取得しアトランタの大学付属の語学学校へ進み、現在はコミュニティカレッジでビジネスを専攻している。
来年には他の州のコミュニティカレッジに編入を控え、コスメトロジーライセンスの取得に意欲を燃やしている。 コスメの専門的な勉強をするために、今はそれとは関係のないビジネスの勉強とテストに追われる毎日を送っている。 通らなければいけない道だと頭では分かっていても、勉強に明け暮れる毎日に消耗し、もどかしい気持ちになる日もある。
私にはじゅんこさんが台風のように見えてならない。 ずっと夢見て寄り添ってきた「英語」「アメリカ」「コスメ」を、今度は全部飲み込んで未来に連れていく。 日本で発生した台風が、少しずつアメリカで勢力を強めているかのようだ。

以上。小さな台風は次々と各地で発生している模様。引き続き元オペアの動向にご注意下さい! 日本から、石川がお伝えしました。




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*写真はイメージで本人とは関係ありません