Uターン型、秋山詠美さんのそれから





<アメリカに行くまで、英語は学校の教科の一部でしかなかった。>


秋山詠美さんは、2008年5月から2009年5月まで1年間、
SFで近郊で生後3か月の双子ちゃんのお世話をしていた。
アメリカにいる頃から日本の会社に履歴書を送ったり、ネットによる求職活動を始め、帰国後は英会話教室の講師として働き始める。
渡米前は保育士をしていたが、同じところには戻る気にはなれなかったという。
「保育士はイヤで辞めた訳ではないし、もう超幸せな仕事だと思うけど、
その幸せ感が行き詰まっちゃう気がしてたのもあって、
このままでいいのかなって。」そんな気持ちで別の職に就くことになった。
新しく始めた英会話教室では、帰国子女レベルの同僚に圧倒されて、帰り道に凹んで泣くこともある。
でも、そこでちゃんと勉強する。女の子ですもの、涙が出ちゃう。
そんなこと誰にでもある。でも、泣くだけでは終わらせたりしない。
今は、子供が好きだから、子供と触れ合え、自分の英語力も伸ばせるこの仕事に満足している。
渡米までは学校の教科の一部でしかなかったという英語。
帰国後は、アメリカで得て来た英語力を生かして新しい道へ進んでいる。




<自分を子供のように感じてしまうこともあった。>


アメリカでいる間は、自分を子供のように感じることもあった。
英語がうまく話せなかったり、生活基盤がなかったり、
自分のバックグラウンドがゼロの場所で自分らしく生きるためには、余程の強さが必要である。
アメリカで文化の違う赤の他人と生活することで、自信や忍耐力を得た。
何より行って良かったことは、きれいな景色を見れたこと。
友達ができたこと。いろんな考え方を知って世界が広がったこと。
日本に比べて全てがシビアで弱肉強食の世界だからこそ、澄み切って見える美しい世界。
アメリカでは沢山の写真を撮った。
愛する人達のいる暖かな地元を離れ、そこでは見れないものをたくさん見て感じた経験は、これからの人生において何よりの財産になってゆくだろう。




<今の自分の生活の方がほんとうは大事。>


「帰国後、アメリカシックになりましたか?」という問いには
「あまりならなかった。あたしは地元愛が半端ないから、
日本でまた生活を始めることに熱心だった感じ。
でも、大好きだからって地元にいただけじゃ経験出来なかったもの、あと向こうで出来た友達が自分にとってすごーく大事っていうのは変わりないです。
帰りたいとは思わないけれど、痛いくらい懐かしい。
ホストママからメールがくると、いいなぁー、自分がもうそこにいないのはつまんないって思うけど、今の自分の生活の方がほんとうは大事。」と答える。

「でも。」
でも?
「日本なら理由もなくいることが出来るけれど、
向こうは理由や目的がないといれないじゃないですか。
だから、そのアメリカをホームに思える程恋しいって思えるのは羨ましいです。」
1年、2年暮らした場所を恋しく思わない人はいない。
そのもう一つの場所を心のどこかにもって、自分の今の生活を見失わずに大切にする。




<ここで出来ることをやらないと。>


好奇心旺盛な分飽き症だから、これからは今までやってきたことを続けていきたいと思っている。
自分の中で納得したと思えるまでは、英語の勉強をずっと続けるつもりだ。
「あたしはもう、どこか遠くへ行きたいとは思わないので、ここで出来ることを手を抜かずにしっかりやらないとって思う。」
どこにいるか、よりも、今何をするか。
経験してきたことを租借して血や肉にする。そして思い出を贅肉として残さない。無意識のように見えるこの新陳代謝の良さと循環型システムは、詠美さんの前向きな意思によるものである。




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