<ホストファミリーチェンジ中の辛い日々、今ではかけがえのない経験>
                                                       BY:AYAさん
                                                       投稿:2006年10月

こんにちは、私はカリフォルニア州でオペアをしています
AYAと申します。

6月5日に出発して、今4ヶ月経ちました。この4ヶ月間、楽しいこと、感動したこと、うれしかったこと、心があったかくなった出来事などいっぱいあります。それだけではなく、挫折や憤り、ツラいこと、めんどくさいことをたくさん経験し、今に至ります。長いです、覚悟しててください()

オペアプログラムとの出会い

私がオペアの存在を知ったのが昨年の今頃でした。ちょうど勤めていた職場の元同僚にオペア経験者がいて、彼女から生のオペア生活を聞いたのが最初です。以前から海外生活に興味のあった私は、身近な彼女からほとんど毎日のようにオペアについて質問を繰り返しました。私は、子供というより人と関わることが好きだったこともあり、個人の家にホームステイしていろんなことを学ぶ絶好のチャンスだと感じました。チャイルドケアについては、いろんな友人の子供と遊ぶ機会が多く子供と接していることが単純に心地いいと感じる程度でした。これまで、お金をかけずに海外生活をしたいなぁと思っていたので生活費もかからず毎週の給料も出るこのプログラム、留学やワーキングホリデーなどと比べて自己負担が軽いことや、13ヶ月目に旅行ができるというオプションにも魅力を感じて渡米を決めました。

そして両親に相談。両親には、経済面で負担をかけないこと、絶対生きて帰ってくることを主張して理解してもらいました。両親からは、初め、日本の感覚を押し付けられてぶつかったりもしました。悲しいことに日本ではあんまりまだ浸透しておらず、理解してもらうことが少し大変かもしれないです。特に、ベビーシッターなんて!っていう目で見られたくないらしく、親戚には、オペアの内容は詳しく話さず私は普通の留学と伝わっているようです。また、私が人の子供を預かるって、親としても心配だったみたいですが 何事も経験。一生懸命、保育経験を積んで自信をつけていきました。最終的には、うちの母親は子供が好きなので、自分がオペアとして行きたいくらいだと言うまでに了承してくれています。

オペアになる準備開始

12月に試験を受けて、それから半年ほど。3月末まで全くオペアとは職種の違う仕事をしていたので、短期間でいろんな審査や書類の手続き、保育経験を積むなどの準備はけっこう大変でしたが、ほぼ予定通りに出発することができました。書類を書くこと自体はあまり苦になりませんでしたが、実家が他県にあり、在職中だった自由が利かない私の代わりに母親が(母もその頃、父とともにまた別の県に在住でしたが)、地元に手続き申請に帰ったり、母子手帳から戸籍抄本、高校の卒業証明など必要書類を送ってもらったり、実際一緒に病院ついてきてくれたりかなり動いてくれていました。英語でのメディカルレポート書いてくれる病院を探すのもちょっと大変でした。保険が利かないため金額が病院によってばらばら、英文作成さえ受付けてくれないところが多く、根気よく問い合わせをしました。九州から日本事務局へ出発前オリエンテーション、大使館へビザ申請のための面接、そして成田空港へと、渡米するまでに数回東京へ足を運びました。

そして、無事に書類送付、アメリカのエージェンシーに私のアプリケーションが受理されたとの連絡が入りました。回覧期間の初日からいきなり電話インタビューがきました。今のエージェンシーのやり方だと、オペア側がファミリーを閲覧するのはできないので、自分に興味をもってくれたファミリーから連絡を待つのみです。電話連絡は不意打ちだったりEメールから先にコンタクトがあったりと家族によってまちまちでしたが、なかなか話せない自分に焦りと不安を感じつつ、毎日いろいろなファミリーとコンタクトをとりました。日本にいればこちらの生活が全く想像できず、最初は何を質問していいのかもわからなかったです。結局30件ほどオファー来ましたが、決定権はオペアだけでなくファミリーにもあるので電話インタビューのあと、気に入ってもらえるかどうかとかでうまくいかなかったり、すんなり気に入ってもらえたりしました。本当にタイミングと縁、なるようになる!という感じです。最終的にサンフランシスコ近郊の3歳の男の子、1歳の女の子のいるファミリーに決めました。ホストファミリー決定まで1ヶ月ほどかかりました。この期間は、本当にファミリーが決まるのかとか不安に襲われたり、自信なくしかけたり宙ぶらりんの日々が精神的にキツかったです。私はいろんなファミリーを見すぎて結局どこがいいのか分からなくなったところもありました。だから、選択肢が多いことが必ずしもいいとは限らないなと思ったり…。ファミリーが決まってから2ヶ月ほど、保育実習、日本料理の特訓()、ビザの申請や出発準備等に明け暮れ、あっという間に渡米。

いざ、アメリカへ 〜NYでのトレーニング、そしてフホストファミリーの家へ〜

NYでの研修も忘れられません。100人の同期オペアと3日間一緒に過ごしました。日本人は圧倒的に少数、英語での講義も理解できたのかできてないのかわからない状態、当たり前ですが周りは外国人だらけ、本当に圧倒されっぱなしでした。そして夜はNY観光のオプションがあったり自由行動できる日もあったりしました。本当に世界各地いろんな国からオペアしにきています。NYオリエンテーションでは100人中、日本人3人。講義が、日に日にネイティブの速度で進んでいくのでついていけず戸惑いました。どの程度理解できたかわからず、それでも日本人がそばにいたので確認しながらの日々でしたが、ホームステイ先では・・・と思うと不安になりました。けれども、見るもの全てが新鮮でいろんな意味で刺激を受けましたし、思い出に残る数日間でした。



そしてこの研修を終えたあとは、大多数のオペアが飛行機移動でした。 私は乗り継ぎで2本乗りました。 東と西で4時間時差があるのでとにかく1日が長かった。空港に迎えに来てくれたのは、ホストママと3歳の男の子。庭に咲いていた花を手渡してくれ、その後ずっと手をつないでいてくれたことが、これから始まる生活への緊張と不安を少し緩和してくれていました。子供には本当に救われました。初めは一緒に遊ぶことしかできなかったのが、徐々に、しつけというかタイムアウトやマナーを教えられるようになりました。よくWhy?と聞かれてうまい切りかえしができなかったり、発音がうまくできず通じなかったり兄妹でおもちゃの取り合いなどになった際にいつも同じことしか言えないことに自分の会話力の乏しさを感じましたが、子供は本当に無邪気でいろいろなことに興味を持ってくれること、日々の成長がうれしいです。

ホストペアレンツともなかなか会話がはずまないことが初めの頃はとても心苦しかったです。表現も発音も自信が持てなかったのですが、友達ができるようになると話すことに抵抗がなくなってきました。また、自分の希望、YESNOをはっきり言わないことには何事も前に進まないと痛感しました。子供は、言うことを聞かないときは聞かなかったりしますが、妥協せずに忍耐強く言い聞かせること、順番を守らせること、褒めることで素直になるように感じます。

ホストマザーからの冷たいメール

初めてオペアを入れる家庭で、ホストママは教育関係の在宅ワークだったので、日中はずっと家にいることがほとんどでした。初めは、いつでも疑問に思ったことをすぐに質問できると思って前向きに捉えていましたが、徐々に、私にとっては監視されているように思えてきました。というのも、同じ家にいながらも私の仕事内容についてのダメ出しメールが連日送られてくるようになったのです。初めは、期待に応えようと一生懸命でしたが、頑張っても粗探しされる毎日。ツラい日々でした。日本語教育に関しては、オペアの仕事以上のことをやっていたと思います。ママからの自信を失わせるようなメール、つくづく言葉は暴力だと感じました。

例えば、子供に対して口うるさいだとか、2時間でなぜこれだけしか掃除できなかった…とか。明らかに嫉妬と受け取れるような注意書きもしばしば。挙句の果てに「あなたはもっと保育に関して訓練を受けるべきだ」と食事、掃除、洗濯、着替え、遊び…仕事内容全てに関して全否定されました。私は、保育に関して資格はありませんが それなりの経験積んできたのですが、それでは満足できなかったようです。一番大きかったのは、時間内にこなすべき仕事量が多くて、2階の掃除機をかけることを指示され、そのときに子供から目を離したことを咎められました。

私のエリアコーディネーターは、常にファミリー寄りでした。というのも、ホストママが私へのダメ出しメールをコーディネーターにも同報で送っていたのです。ファミリーとうまくいってないときに コーディネーターに2人で話す機会を持ちたいと訴えたにも関わらず、ファミリー交えての話し合いの場しか持ってもらえず、結局は本音で話し合うこともできず。話し合いで解決したかったのですが、話し合いするほど機嫌悪くなっていくホストママ。相性が合わなかったのだと思います。

ホストファミリーチェンジを決心、強制帰国の大ピンチ!

そして、チェンジを決めてから、引き続きオペアの仕事をしながら次のホスト探しに入りました。コーディネーターは、親身になってくれるどころか、2週間たって次のファミリー見つからなければ自費で帰国!と警告してくるばかりでした。挙句の果てに、歯の問題があるからと帰国をすすめられました。ちょうど、このチェンジ期間中、歯のツメモノが外れて歯医者に行ったのです。それが運悪く虫歯だったのと、この歯のほかにも虫歯見つけられて保険を使ったにも関わらず、高額な治療費を払うハメに。アメリカで歯医者にかかるのはとても高額だとは聞いていましたが、痛い出費でした。おまけにこの日、祖母が亡くなった知らせが来て、ダブルでショックなこと重なって。しかも、保険使ったから、エージェンシーにも未治療の歯があるという事実も伝わってしまって「tooth problemアリ」と申告しなければならないということでのホスト探しになりました。そのうえ、コーディネーターから私の帰国をすすめるメールが届いたと、日本事務局から連絡がありました。

窮地に追い込まれました。お金ないし、祖母のことでただでさえツラいし、残りの虫歯どうしようだし、全然オファー来ないし
コーディネーターは頼りにならないし、ファミリーはすでに次のオペアを決めちゃってるし(新しいオペアも日本人、こうも日本人にこだわる理由がわかりません)、とにかく心細かったです。それでも帰国したくないことを必死で伝えました。渡米してまだ3ヶ月、これで帰ってしまったら思い残すことが多すぎます。

そして、来たのが日本人ファミリーからのオファー。救われたと思いました。このとき私は、アメリカ人の人使いの荒さや攻撃的な態度に相当参っていました。それで、日本人のママの日本語がとてもあたたかく感じ、英語環境ではないということを承知の上、リマッチを決めたのです。しかし数日後、ファミリーと連絡がつかなくなりその後、一方的にドタキャン。本人からの連絡はなく、そのエリアのコーディネーターから聞かされました。オペアに運転してもらいたかったそうですが、車の保険が高かったからとかでオペアの規定を理解してなかった家族だったようです。同じ日本人なのに、一言も連絡してもらえなかったことも悲しかったですし、また帰国の危機に迫られるということに今まで以上に恐怖を感じました。

そして、ホスト探しがまた1からのスタート。前ファミリー宅にいられる期日が来たので、敵対視していたコーディネーターの家に滞在することに。最初は、なんでこんな所にいるんだと腹立たしさとやりきれなさでいっぱいいっぱいでした。滞在中、1週間は全く音沙汰なし。その上、コーディネーターはホストを探している素振りもなし。私たちにできることは待つことしかないのよ…と。

コーディネーターとの和解、そして新しいホストファミリーとの出会い

毎日、新しいホストからの連絡待ちの状態で落ち着かない私。2週間たってホストが決まらなければ帰国です。コーディネーターに内緒でGreat AupairCraigslistに自分のリストを載せたり、ミクシィで知り合った日本人オペアと片っ端から連絡を取り合って各地のコーディネーターにアプローチしてもらうよう頼んだりしました。
とにかく不安でしょうがなかったから動きまくりました。新たにエージェンシーに入ってもらうのは難しいと承知でしたが、いろんな家族と連絡を取り合うことで、精神的に保てていました。また、この期間、コーディネーターの家の子供達、10歳の男の子、7歳の女の子に救われていました。彼らと鬼ごっこやかくれんぼして全力で走ったり、とにかくいろんな事して遊んで気がまぎれていました。本当に素直でまっすぐな子供たち。人に傷つけられて人に癒されてることを実感しました。

こうした状況で、日本人オペアがいかに異国で心細い思いをしていたとしても、帰国の危機を迫られたとしても、今の日本のエージェンシーは何の助けにもなってくれません。自分で切り開いていくしかないのです。アメリカにいる日本人というだけで、立場も境遇も全く違う私を支えてくださったのは日本人のママさんでした。出会いとは不思議なものです。会ったこともないたまママさんと毎日のように電話で連絡、状況が変わるたびに相談していました。そして、自分の思いや権利を主張していくことで自分の立場がより開けることもここで学びました。親身になってくれないコーディネーターに、たまママさんの力を借りてですが、自分がどんな思いで日本からやってきたのか、どれだけ準備を重ね、費用を投じてきたのかという自分の立場や、絶対に帰国だけはしたくない、協力して欲しいという気持ちを主張した結果、当初の2週間という期限が1週間延びたのです。人の心は動かせることを身をもって痛感しました。

なんと、敵だと思っていたコーディネーターと日に日に打ち解けていったのです。「心の距離が縮まっている」っていうのを日々肌で感じました。家族のようにいろんな場所に連れて行ってくれて、私の落ち着かない気持ちをいつも察してくれて、最終日には子供のお世話をしてくれてありがとうとお小遣いまでくれたのです。あれだけ敵対視していたのに、 コーディネーター一家と別れの日には彼女との出会いを一生ものだと感じるようになっていたし、2人の子供たちを抱きしめて大泣きしてしまいました。彼女との出会い、生涯忘れられない出会いになりました。私、きっとこのまま日本人のファミリーのもとへ行っていたらアメリカ人の悪口ばっかり言っていたと思います。このコーディネーターの優しさ、アメリカ人のおおらかさあったかさを知らずに勝手に「日本人」っていう殻にこもっていただろうなと思います。




だから、どんなことにも意味はあるのだと思います。葛藤、失敗、挫折、裏切り等、そのときは悔しくて悲しくてキツくてたまんないけどそこから何を得るかそれをどう生かすか、そういうコトが大事なのかなと感じます。

そして、彼女の家に滞在することにも慣れた頃、数件のファミリーから連絡が来ました。一番オープンでいいことも悪いことも全部知らせてくれた家族が今のファミリーです。当時のオペアがホームシックで帰国するらしく急ぎで来て欲しいと言われました。連絡が来た翌日に返事が欲しいと言われました。コーディネーターの子供たちと遊び回る私の姿を見てか、彼女がこの家族に私を推してくれました。もの静かな私を初め、「奇妙」だと感じていたそうですが、私の子供との接し方を「柔らかく、優しい」と評価してくれるようになったということです。パパはNASAの科学者、ママは内科医で、スクールエイジの賢い3人の子供達(12歳、10歳の女の子、7歳の男の子)、そして膨大な資料とハウスルール、初めこれに圧倒され、決断できず、返事を少し待ってもらいました。その間もたくさんの情報をくれてほんとにこの人たちは私を必要としてくれているんだと感じました。最初の電話でパパ、ママ&現オペアと話したし(前ファミリーは新しいオペアと私との接触を嫌がる人でした)歴代オペアがしょっちゅう彼らを訪ねに帰ってくるっていうのも、オペアといい関係を築いてきたまぎれもない事実だと思いました。また、ティーンエイジャーの面倒見るほうが合っているなっていうのをコーディネーター宅で実感した私にとって、子供の年齢を見る限り、条件はぴったりでした。

温かいホストファミリーの元でオペアとしての再出発

今、カリフォルニア州フレズノ市というところに住んでいます。
LAとサンフランシスコのちょうど中間地点。2つの大都市と比べたらはるかに小さい都市です。オペアの人数9人と少ないので、みんなと仲良く濃い付き合いができています。
サンフランシスコ近郊にいた頃も、エリア内80人ほどいましたが 日本人は私1人でした。今のエリアも当然ながら1人。 心細いけれど、逆に考えるといろんな国の友達ができます。ヨーロッパの子たちは特にネイティブ並なので 一緒にいると英語も上達します。という意味ではいい環境かなぁと思います。

今回、ホストチェンジする際、どこに決まったって全然構わなかったけれど、同じ州内だったので大移動ではないということで、少し安心でした。最初にファミリーを決める際は、大きな都市の近くがいいとこだわっていましたが、チェンジの際は、どこに行ったって構わないと思うようになったのが事実です。1年いるわけですので、いろんなアメリカの行事一通りは経験できます。希望の地に決まらなくても 行きたい場所に行くチャンスはいくらでもあるので、住む場所にそこまでこだわらなくていいと実感。広いアメリカですが、どこに住んでいても、生活するために必要なものは揃っているようです。事実、ファミリーはそこで生活しているわけですので。 日本人の集まりにくい地のほうが自分を追い込めるし、英語が上達する環境だと思えます。その土地での楽しみ方もあると思います。

私は、今ナショナルパークが近いので家族によく連れてってもらっています。とても理解あるペアレンツ、キッズもみんな仲良くしてくれて 今、とっても居心地よいです。 思っていた以上にハウスルールはたいしたことなく、(不思議なルールはありますが)それ以上に、今まで味わえなかった家族としてのあったかさを感じることができる家にめぐり合えたことに大感謝です。なんと私は、この家の16代目オペア!ファミリーもオペア慣れしていて要領を得ていて、みんな人に慣れていて、質問したらもうありとあらゆることまで教えてくれます。「家族の一員」として尊重してくれます。最初、3wordsしか話せなかったオペアもここにいたら1年ですごく英語力伸びたから心配ないわ!とも言ってくれます。もう、大船にのった気持ちで過ごしています。少しくらい表現、間違っていたって全く気にならないです。むしろ、外国人であることを忘れるくらい自然に話しかけてくれます。過剰な期待もされないし、その代わりプレッシャーもかけられない。

毎日の仕事は、朝、歩いて10秒のスクールバス乗り場まで姉妹を送っていくこと。下の男の子は、パパが職場に行く途中、毎日送り迎えをしています。そして、4時すぎに帰ってくる姉妹たちを待ちます。一緒に家で留守番をしておく…ということが主な仕事内容。子供達はそれなりに何でも自分たちでできるので、やるべきことを日々、確認するのみ。子供を説教したり、話し相手になったりというのは、初めからそれなりの会話力が必要だと思っていましたが、子供とともに徐々に成長している気がします。そして、7時すぎにパパかママが帰ってくれば仕事終了。本当に今までと比べてはるかに負担の少ない仕事量と時間、お金に関しても細かくない、週末のたびにいろんなところに旅行に連れて行ってくれる本当に居心地のいい家族です。

本当に今、最高の生活をしています。
日中、自分のために使える時間が多く、オペアというよりは、むしろ留学生のような感じで毎日のように学校に通い、充実した毎日です。月曜から金曜まで、毎日3時間みっちり英語を勉強できることに幸せを感じています。片道15分の自転車+45分のバスで決して近い距離じゃないけれど交通費も負担してもらっているし、無料のアダルトスクールだからどんどん行き放題。かといって、オペア規定の単位もここで取得できるし、勉強内容はしっかりしていてほんといろんな意味で知識が広がっている気がします。アメリカは、移民の国なので、第二外国語としての英会話を学ぶ施設が各地に整っていて、ありがたいことにお金もかからず英語習得ができるのです。日本の英会話スクールなんてボッタクリだと感じます。

どうやら、私レベルの高いクラスにいるらしく、パワーポイントを使ったプレゼンテーションをグループでしたり、ディスカッションも頻繁にするのでみんなと仲良しに。本当に大学みたいな施設で勉強しています。結婚している人もいれば若者も多いし。中にカフェテリアもあります。なんか、結婚についてとか国籍とか民族、文化、自分が日本人であることなど、いろんなことを考えさせられます。

エージェンシーの規定上、オペアの単位取得のために通うスクールの学費として500ドルまでファミリーが負担することになっているのですが、私は無料の学校に通っているとうことで、500ドルは好きな習い事にあてていいということなのでありがたいことにHIPHOPダンスのレッスンも負担してもらいながら通っています。
歴代オペアもそうしてきたようです。ただ、ママと車をシェアすることになっているので、ほとんど車を運転することはありません。平日は自転車、バスを大いに利用し、友達と遊びに行くときは誰かが迎えに来てくれるので、車がないことは確かに不自由ですが、大きな問題ではありません。健康的だなぁと前向きに捉えています。

ファミリーの人柄、子供達とのふれあい、友達づきあい、そして自分のために使える時間、環境のよさなど、どれをとってみても自分に合った生活が実現できていると感じます。でも、アメリカに来てたくさんの人と出会い、たくさんの人に支えられて今の生活、今の私があると思うのです。

人との出会いは財産。これからの人生に役立てていきたい

こっちに来て実感したこと、アメリカには本当に人の助けを借りたいほどオペア雇いたいってファミリーがすごくいっぱいいるということ。特に、エージェンシーに登録しているファミリーというのも経済的にも社会的にもしっかりした家族なのです。実際、初めに登録するだけで6000ドル(60万円) 毎月、私達に支払うお給料のほかにも エージェンシーに加入し続ける手数料や私達の飛行機代(チェンジの際も交通費ファミリー負担でした)など 莫大な費用を負担しているのです。 私達もそうですが、ファミリーに対しても厳しい審査があるのです。ドキュメントを作成する手間もありますし。つまり、そこまでしてでもオペアを必要としています。この国では、オペアという職業が定着しているようです。日本にいると、外国人に子供を預けるなんて信じられない!と思いがちですが。  それから、安全面に関してですが、危険安全は自分次第だと思います。自分でそういう場に行かないとか、ルール守るとか最低限安全に関する心構えとか持っていれば、意外と普通に生活できています。

たった4ヶ月のオペア生活ですが、今思えば、無駄なことなんて何一つなかったと思います。前ファミリーとのぶつかりあいも、日本人ファミリーのドタキャンも、敵だと思っていたコーディネーターと一生の出会いと感じるまでに仲良くなったことも新しいファミリー見つけて決断するまでも、私にとって莫大な経験だったと感じます。また、日本から出発が一緒だった同期オペアとは、今では何でも話せるかけがえのない親友ですし、たまママさんをはじめ、アメリカでできた友達、たくさんのオペア経験者から応援のメッセージやホストチェンジ経験者にたくさんたくさん相談させてもらったこと、人とのつながりに大感謝なのです。日本にいたら絶対に出会わなかったであろう人との出会いや経験、挫折、そしてそこからはい上がる精神力が今は財産です。前の家庭で学んできたこともあるし、この家庭とうまくいかなかったからこそ、ちょうどいいタイミングで今のファミリーに縁があったのだと思うと人生って不思議です。


これから、まだまだ乗り越えていかなければならないことたくさんあると思いますが前向きに自分なりに道を拓いて行こうと思います。今まで以上にせいいっぱい視野を広げて帰れたら最高です。

やらずに後悔するより、失敗してもやるだけやる!
わが道に悔いなしです。

最後まで読んでくださってありがとうございました。…すごく長いですね。

<終>

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